
今朝、玄関の前にカブトムシが落ちていた。小さなカブトムシで残念ながら生を終えていたものだから、隣の畑の甘夏の木の下に放ってあげた。
僕はお店をやっているのだけど、そう言えば去年も店の前でカブトムシを見つけたのを思い出した。こちらはとても元気だったので、子どものころカブトムシをいっぱいとった木に逃がしてあげた。子どものころはうっそうとして少し怖いところだった小さな森も、今は広い道路が通り、大きな木が数本だけになっていた。以前は捕まえるのが嬉しかったのだけど、今は、元気に木を登って行くカブトムシを見るのがなんだか嬉しかった。
あの頃は、隣に住んでいる祖父が早朝の2時とか3時に起こしてくれて、何日もカブトムシをとりに通って、ある夏には、数えてみたら60匹を超えていた。
何年も土の中で過ごして、やっと世界に羽ばたいたカブトムシをせまい虫かごで飼い殺しにしてしまったことを大人になって何度か思い返しては「悪いことをした」と悔やんだ。
最近はあまりカブトムシをみないけど、昔はたまに網戸に飛んできて、それを学校に持っていくと人気者になれた。カブトムシとクワガタで相撲をとらせたりした。僕の周りではクワガタを持ってくる子の方が多かったように思うけど、僕はカブトムシの方が強くて優しそうで好きだった。
それはそうと、しばらく都会に出ていた僕はカブトムシを見ることもほとんど思い出すこともなかったけれど、地元のカブトムシたちはずっと変わらず毎年、毎年、同じように土から生まれて世界に飛び出して、子孫を残して、ひと夏の生を終えてってサイクルを繰り返し続けていたのだと思う。
まとまりのない話になってしまったけれど、カブトムシは身の回りの環境や季節のことを知っていて、土の中で力をためて、勇気をもって世界に飛び出して、精一杯に、謙虚に生きて生を終えていく。
そんなカブトムシにちょとした勇気をもらった気がしたし、帰ってきた湯之元にはまだカブトムシが元気に暮らしているというのが嬉しく感じられた。
ところで、去年も今年もカブトムシをみたけれど、クワガタはみていない。僕が目にしないというだけで、クワガタも元気にやってくれていると良いのだけど。
追伸
さっきまでカブトムシの話を書いて、今は夕方で、仕事で町内の蓬莱館という物産館に出かけたら、いつも通る畑の一本道で、赤とんぼがたくさん飛んでいた。この1週間、僕が昼間に湯之元にいることはなくて気がつかなかったけど、1週間前にはいなかった赤とんぼはきちんとお盆の時期を知っていて、今年もご先祖様の霊の送り迎えを頑張っていたのだと思う。
「ぐびり」、今日も仕事の後のビールが頭をちらつきはじめた。
良いことばかりではないから、ちょっと疲れることもあるけれど、ふとしたことで励まされたり元気をもらえたりすることがある。特に、自然や本や音楽やそんなことから元気をもらえると思うのだけど、湯之元にもそんな自然や環境がまだたくさん残っていると感じる今日この頃で、「カブトムシが樹液で力をつけて頑張るように、僕もまたビールを飲んで明日を謙虚に精一杯に頑張ろう」と思うことでした。
おしまい。